『珊瑚集』ー原文対照と私註ー
永井荷風の翻訳詩集『珊瑚集』の文章と原文を対照表示させてみました。翻訳に当たっての荷風のひらめきと工夫がより分かり易くなるように思えます。二三の 私註と感想も書き加えてみました。
シャルル・ボードレール
原文荷風訳 Le Mort joyeux Charles BaudelaireDans une terre grasse et plein d'escargots
Je veux creuser moi-même un fosse profonde,
Où je puisse â loisir étaler mes vieux os
Et dormir dans l'oubli comme un requin dans l'onde.
Je hais les testaments et je hais les tombeaux ;
Plutôt que d'implorer une larme du monde,
Vivant, j'aimerais mieux inviter les corbeaux
A saigner tous les bouts de ma carcasse immonde.
O vers ! noirs compagnons sans oreille et sans yeux,
Yoyez venir à vous un mort libre et joyeux ;
Philosophes viveurs, fils de la pourriture,
A travers ma ruine allez donc sans remords,
Et dites-moi s'il est encor quelque torture
Pour ce vieux corps sans âme et mort parmi les morts !
(Les Fleurs du Mal) 死のよろこび シャアル・ボオドレヱル蝸牛葡ひまはる粘りて湿りし土の上に
底いと深き穴をうがたん。泰然として、
われ其処に老いさらぼひし骨を横へ、
水底に鱶の沈む如忘却の淵に眠るべう。
われ遺書を厭み、墳墓をにくむ。
死して徒に人の涙を請はんより、
生きながらにして吾寧ろ鴉をまねぎ、
汚れたる脊髄の端々をついばましめん。
おお蛆虫よ。眼なく耳なき暗黒の友、
君が為に腐敗の子、放蕩の哲学者、
よろこべる無頼の死人は来る。
わが亡骸にためらふ事なく食入りて
死の中に死し、魂失せし古びし肉に、
蛆虫よわれに問へ。猶も悩みのありやなしやと。
『珊瑚集』の巻頭を飾る詩です。これを最初に持ってきたのは荷風として考えるところがあったと思います。当然自分に引き比べていた。「腐敗の子、放蕩の哲 学者、よろこべる無頼」。若き荷風はこれこそ自分のことだと感じたのは自然です。
"Je veux creuser moi-même un fosse profonde" の訳の後に、行を変えず荷風は「泰然として」という言葉を付け加えていますが、それは次の行の「横へ」にかかる言葉。語数の関係でしょうね。そのほか「腐 敗の子、放蕩の哲学者、よろこべる無頼の死人」と言葉の並び方が原文とは逆になっています。これは動詞の前に「無頼の死人」を持ってくるためなんでしょう が、芸が細かい。
最後の行。蛆虫よ「われに問へ」と訳してますが、どうなんでしょう? (まだ死体の中に苦しみが残っているかどうか)「われに言へ(教えろ)」だと思うん だけれど、何か理由があるのかな。よく分からない。
飯島耕一はこの荷風訳を評して「翻訳技術者の手になる訳ではなく、この通り実行した人の手になる訳」としています。「生きながらにして吾寧ろ鴉をまねき」 という恐ろしい言葉を荷風はそのまま実行しました。「陋巷に窮死する」というのは荷風の若いときからの確信でもあったように思います。
つくづく思うんですけど文語はいいですね。特にボードレールの詩なんかは文語で訳すと大迫力です。口語訳ではどうも様にならないような気がします。聖書も 同じですね。昔の文語訳の方がよほど格調高かったです。
余丁町散人 (2002.11.14)
--------
訳詩:『珊瑚集』籾山書店(大正二年版の復刻)
原詩:『荷風全集第九巻付録』岩波書店(1993年)
0 件のコメント:
コメントを投稿